まめ活のすゝめ

趣味(たまに箸休め)の記事を書きます

(箸休め)時間があったので長話(前編)

こんばんは、まめです。

 

自分にとっては今夏が学生最後の夏になる予定なので、この夏休みってものすごい貴重なんですよね。ただ実際はしっかりそれを生かし切れているかと言われると(コロナ禍で旅行もちゃんと動けてはいないし)イマイチ自信がありません。強いて言えば札幌ダート1700のコツがなんとなーくつかめたかもしれないしつかめてないかもしれないなーってくらいです。なにそれ。

 

そこで、ちょっと時間が無いと出来ないことをしようかなと考え、今日は長話をしたいなと思います。長いので前編/後編に分けました。

 

 

 

さて、僕は大昔に公言もしていたのですが(身内には結構頻度高く言ってる)

学祭ガチアンチです。

 

いや学祭ガチアンチって何よ?って思う人も多いと思います。『学祭ガチアンチ』でサーチしたのですが僕のツイートしか出てきませんでした。そりゃそうじゃ。

 

そう、今日は僕が学祭ガチアンチになった話です。

 

 

きっかけ

~高校3年の夏~

当時の自分は付き合って2年になる彼女がいて、部活(もう引退してたけど)やらクラスやらに話せる友達もいて、結構なリア充でした。この辺りは初期のブログでも書いていた気がします。自分で言うのもなんだけどこの頃は人間関係にすごく恵まれていたし、自分自身が今より色々と歪んでなかったと思います。女装なんてしなかったし

高校が自称進学校(3年0学期)(ベネッセの模試)(文武両道で差をつけろ)だったこともあって8割が大学進学を志望するので、自分も例に漏れず実は最初は進学するか迷ったのですが、働いている自分を当時想像できなかったので大学進学を目指して勉強に励んでいました。弟の高校入試と被ったこともあって塾や予備校に通うことが出来なかったので、自分で工夫しながら勉強していましたね。

 

7月彼女とデートしたときに大学何処目指すーみたいな話になって、彼女は僕の高校からだと難易度の高い大学を挙げていました。ただ、彼女はテストで毎度のように高得点を取ってくる賢い子だったので、「彼女なら行ける」と思ったことが記憶にあります。この辺は後でも書くのですが、僕の得意科目の日本史でかるーく学年最高取ってたこともありました。ホントにすごかった。

 

ところで高校行事で文化祭ってありますよね。自分の高校ではその文化祭の時期が9月中旬でした。という訳で「先生がやる気」のクラスでは文化祭準備にこの夏励むところもあって、受験勉強の基礎固めとして夏休みを有効に使いたいのに時間を取られるというのは、正直僕にとっては「?」でした。彼女の居たクラスは「先生がやる気」だったので、夏は文化祭準備に精を出していました。

 

夏休み(正確には期末後からだった気がするけど)、自分は333時間勉強すると計画を立て、なんやかんやと勉強していました。自分のクラスは幸い先生がやる気の無い方だったので、それを遂行することが出来ました。これが後々効いてくることになります。問題は彼女のクラスで、合唱コン(文化祭とほぼ同時に行われる)の係になった彼女はそれに時間を取られ、勉強時間を上手く取れなかったと聞きました。幸い彼女は内申点が高かったので指定校推薦に切り替えたのですが…

 

指定校で彼女が選んだ大学は当時の僕でもすでに射程圏に収めていた大学で、この高校からであれば一般入試でも充分にチャンスのある大学でした。7月に第一志望を聞いていた僕は(彼女の今までの成績からしてももったいないしそこは本来の第一志望では無いと知ってたので)、「文化祭なんて辞めて、勉強に戻って来いよ」と言ったのですが、彼女には「今のまめ、ムリ!」と言われ、説得できず別れることになりました。これが9/9ですね。

 

 

地獄の3ヶ月

とまぁこれだけならなんてことない、高校生活終盤に爆発したカップルの片側です。文化祭への良い思い出ももちろんありましたから、それだけではガチアンチにはなりません。

 

別れた後の合唱コンで、元カノのクラスは銀賞を取っていました。8クラスあるうちの2位ですから、本当に凄いことだと思います。壇上で泣いていた元カノを見て、受験勉強の道を選んだ自分は間違っていたのかなとも思いました。そのときの光景と自分の感情は今でもわりとしっかり覚えています。

 

その後の文化祭は二日間すこぶる体調が悪くて、学校に来たは良いけど(自分のクラスの催し物が大部屋を借りるものだったので)控室で横になっていたときもありました。今なら分かるのですが、ストレスからくる体調不良です。この体調不良には長く悩まされ、朝起き上がれず学校に遅刻するときもありました。翌月(10月)には模試で成績が急降下。たしか英語で5割を切ったかな、勉強面にもその影響が出ました。自分の中では夏に一生懸命取り組んで(それまでは順調に伸びていた)唯一持っていた『成績』というものが崩れて、どうしようもなくなった感じがしました。

 

悪いことは続きます。11月には自転車で転倒し、右ひじの打撲(打撲でこんななるか?)から、2週間ほど右腕がほとんど使えなくなりました。文字通りペンをもてなくなりました。(正確にはペンを持てても文字を書くことが出来ない)

…これは単なる転倒じゃんwとなる人ももちろんいると思うのですが、自分はそうは思えないんですよね。このときの自分は体調不良でめまいに悩まされていましたし、プライベートと成績面のダブルパンチでメンタル面でも体力面でも疲弊していました。そういった裏の部分を考えると、これも文化祭1つから引き起こされた災難だったかなと思います。

 

この頃中間か何かの現代文(元カノのクラスの担任)の試験のテスト返しに出席できずに後日職員室で受け取ったことがあったのですが、「最近休みが多いけど大丈夫?」みたいなことを言われてものすごく悔しくなったことを覚えています。いやあなたが元カノごとクラス飲み込んだからだぞ???ってなってました。

 

人間関係も成績も崩れ、立て直すにもペンすら持てない。家族の前で大泣きした記憶があります。元カノと近所の幼馴染にものすごい長文(メンヘラ)送ったこともあったし、自分を見失いかけて文字通りどうしようもなくなって心療内科にも行きました。めまいを抑える漢方ももらったけど、効かないときもあったかな。センターの会場で席に座れるのか(受験をそもそも受けられるのか)も分からなくて浪人を覚悟したし、それ以上のことも見えていました。この頃が一番しんどかったです。地獄の3ヶ月でした。

 

 

一山越えて

右肘が回復しペンを再び持てるようになると、12月のセンタープレで復調気配を見せて望みをつなぐことが出来ました。1月のセンター入試で会場に入り席に着いたときには、”席に座れている”ということに感慨深くなったことを覚えています。ここでは得意科目だった日本史で9割を叩き出して、(日本史が2倍の点数で加算される制度も使って)彼女の大学と同クラスの大学を抑えることに成功しました。この時点で英語は未だ6割程度でしたが、手応えとして一時の不調は脱した感がありましたね。

僕にとっての第一志望群は自分の高校からだと難度のあるところで、当時模試での判定は厳しかった(たしかD判定とか)のですが、入試当日は運もあって1校ひっかかり合格。体調面を考慮して実質2校しか受けていなかったので、本当に良かったです。夏に時間を確保できて基礎固めをしっかりしていたのが秋の地獄を越え、終盤に再び生きてきたのかなと思いました。(もちろん親や幼馴染の助けが一番支えになったのですが。)

 

…なんか暗いことばかり書いていて救われない感じがしたので一応書いておきます()

 

 

続きは後編で。